シナリオ分析のブログ

完全に趣味のブログ。見返さずに投稿しているので誤字や意味の分からない箇所があると思います。

アニメのソシャゲ原作による弊害

  以前に書こうと思って忘れていた記事。しかしまだこの傾向は続いているようなので書き上げたいと思います。

 ちなみにソシャゲ(ソーリャルゲーム)と書いてますが、スマホゲームも含みます。

 

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 アニメの原作にはいくつか種類がありますが、今回は特にソシャゲをアニメ化する際に起こる問題について書いてみたいと思います。

 ただ個人的にソシャゲは現在やっていないので、見当違いな部分があるかもしれません。

 

三つの問題点

  1. ゲームの設定をストーリーに落とし込む必要がある
  2. キャラを多く出す必要がある
  3. ストーリーが完結できない

 

  一つずつ解説して行きたいと思います。

 

ゲームのの設定をストーリーに落とし込む必要がある


 ゲームの設定には特殊な物もあります、例えば少し前に放送された『Z/X Code reunion』という作品。原作がカードゲームという事もあって一つの世界に未来の時間軸が五つ同居するという特殊なものとなっていました。

 残念ながらゲームはやっていないので詳細は分かりませんが、この独特の設定をアニメの中に落とし込むのに成功したとは言えない内容でした(個人の感想です)。

 

 ゲームにはゲームを楽しむ為の設定が存在します。例えば世界一有名なゲームキャラクターの配管工を例に挙げます。

 敵にぶつかると死ぬ、落ちたら死ぬ、強制スクロール等、物語にするには少々頭をひねる必要のあるものばかりです。

 更に1UPやコンテニューという言語道断なシステムを含め、これを物語の中に落とし込むのは少々無理があります(なので大抵、無視される)。

 

 これらの設定やシステムは物語として作品を楽しむ場合にはノイズとして作用してしまうので、これをどう回避するか、もしくは上手く盛り込むかという問題があります。

 

 これはソシャゲのみの問題ではなく、ゲーム原作の映像化には避けて通れない問題だと言えるでしょう。

 

キャラを多く出す必要がある


 これはソシャゲでは顕著な問題で、キャラクターを集める・育てるといった要素になぜか特化して来たソシャゲの世界では良く見られる現象です。

 物語上、何の必要もないのに新キャラを出して活躍させなければいけない。もしくは無駄に多い同行キャラクターを戦闘に加わらせて必殺技を一度だけ発動させなければいけない、等。といった工夫(?)が必要になります。

 この傾向は『GRANBLUE FANTASY』という作品で強く見られたと記憶しています。

 

ストーリーが完結できない


 サービス中のゲームなので物語が完結しません。そもそもゲーム上でもサービス終了が実質の完結となるソシャゲでは、最終目標を達成して終わるゲームの方が少ないのかもしれません。

(それでも第一章完、もしくは本編終了、といった形でサービスを続けているゲームもあるようです)

 

 しかしこれは、冒険を続ける=ゲームを続けるというプレイヤーの心理としては逆に合っているのかもしれません。プレイヤーの動機が続く限りゲームは続く、それがゲームをする人間の心理でしょう。

 しかしゲーム内にキャラクターの成長や変化がない、というのも皮肉な話なのかもしれません。

 

問題点=間違いではない


 以上、問題があると思った部分を個人的に挙げてみましたが、だからといってやめろという訳ではありません。

 そもそもゲームと物語の相性はそこまで良くないのです。

 

 配管工のゲームを再び例に出すと、そのゲームをしつつ本当に姫を救わなければと思っている人は居ないでしょう。

 魔王を倒して世界を救うゲームをしながら、本当にその世界の心配をしているプレイヤーは居ない。むしろずっと戦っていたいという無頼の連中がほとんどではないでしょうか。

 

 

 そこに無理があるからこそ、それをどうやって乗り越えるかという試みがいくつも成されるべきだと思います。

 

終わりに


 ソシャゲのアニメ化は少し勢いが落ちた感はあります。それでも続編が期待される作品や新規のアニメがあるのも事実です。

 アニメ化がただの宣伝ではなく、ゲーム段階から望んでいたというスタッフの声も見た事があります。それぐらいゲームとアニメの関係性は深い。

 

 なので今後もこのジャンルで新しい動きや試みがあるのを願ってこの文章を終わりたいと思います。