アニメ「今、そこにいる僕」全体の構成
アニメ『今、そこにいる僕』を13話まで見終えたので、全体の構成がどうなっているか分かる範囲で書いてみたいと思います。
構造
異文化体験
見知らぬ世界に行って何かするというのは最近の流行でもある「異世界物」と同じ構造ですが、より厳密に言うと異文化体験という形になると思います。別の世界で好き勝手するというよりその世界の風習や生活に馴染んでいく、言うなれば「田舎に泊まろう!」という形になると思います。
前半は主に主人公であるシュウが異文化の中に押し込まれ、反発しながら生きていくのがメインになっています。では後半は……?
硬直していたものが動き出す
その世界(ヘリウッド)はシュウが来る前から続いており、変わらぬ生活というものがありました。それがシュウの行動によって変化します。
具体的には7話でシュウとララ・ルゥがヘリウッドから脱走するんですが、その際にララ・ルゥがシュウを助ける為にヘリウッドを水で満たしてしまいます。そのせいでヘリウッドが稼動可能になり、硬直していた状態が動き出します。
この辺りは意図的なシナリオだと思います。シュウがこの世界に来なければ、もしくはシュウがヘリウッドから脱走しようとしなければザリ・バースは崩壊しなかった。そんな解釈も可能です。
全体の流れをザッと振り返る
この二つの構造を踏まえ、1話から全体の流れをザッと振り返っていきます。細かな点には触れませんのでご了承ください。
1話
- シュウとララ・ルゥが出会う
- 別の世界へと飛ばされる
ボーイ・ミーツ・ガール、全てのキッカケ。
2話
- ナブカと戦い命を助ける
- ハムドに拷問される
主要人物と主人公の出会い。
3話
- 傷ついたサラ
- ハムドの目的が明らかに
この社会の常識。
4話
- シュウが少年兵に入れられる
- シュウの違和感
違和感を感じる主人公。
5話
- 人さらいの用意
- 暗殺者に命を狙われるハムド
この世界の構造、別組織の存在。
6話
- サラの脱走
- ヘリウッドによる人さらい
この世界の構造、少年兵の成り立ち。
7話
- シュウとララ・ルゥの脱出
- シュウの申し出を断るナブカ
組織(ヘリウッド)からの開放。
8話
- 拾われるサラ
- 助け合って生き延びるシュウとララ・ルゥ
ここが恐らくテーマ部分、信じるに値する人は存在する。
9話
- ザリ・バースに辿り着くシュウとララ・ルゥ
- 別の正義を知るシュウ
別の組織の生活・常識。
10話
- ヘリウッドの脱走者(スパイ)がザリ・バースに来る
- ヘリウッド稼動
ラストへの布石、硬直していたのものが動き出す。
11話
- サラの妊娠が発覚
- ララ・ルゥの正体がバレる
別の常識に触れた事で変化したこと。
12話
- ララ・ルゥの争奪戦
- ヘリウッドがザリ・バースに現れる
一つの因果、暗殺者を送った結果とシュウたちが脱走した結果。
13話
- それぞれの結末
個々人の因果と選んだ道。
雑感
因果
この作品では死ぬ人間と生き残る人間があるていど納得のいくように振り分けられたのではないかと思います。ハムドはもちろんとして、ナブカも仕方がないと思うしタブールも恐らく死んだんでしょう。それも納得の行くものです。
例外としてはブゥの死が理不尽に感じたりアベリアが生き残っている事に不満を感じる人も居るかもしれません。しかし許容の範囲内だと個人的には思っています。
他のパターンとして悪い奴ほど良く眠るというのもあるんですが、作品が子供向けなのもあってそのようには作られていないようです。
タイムマシーン
物語の序盤に登場し、シュウがヘリウッドに来るキッカケとなったタイムマシーン(作中ではそうは呼ばれていません)。最初はララ・ルゥの力で時間移動をしていると思っていたんですが、最終話でララ・ルゥが消滅した後にヘリウッドの技術によるものだという事が分かりました。
ここで少し疑問に感じてしまうのが、なぜヘリウッドはタイムマシーンを使って水は人を調達しなかったのか? という点です。違う時代に行けるのなら水にも人員にも困る事はなかったと思うんですが。
これに対して考えられる答は二つ(思いついた範囲です)。一つは歴史が変わってしまう、シュウやサラのように少人数なら問題ないですが、それが多数になってしまうとタイムパラドックスが起こってしまうから。もう一つはコストの問題です、タイムマシーンを使うコストに対して持って帰れる水や人員の量がそれに満たないものであるというもの。
実際の回答は分からないので想像するだけになります。
鬱アニメ
観ると鬱になる・鬱なエンディングのアニメとして語られている鬱アニメですが、この作品もその中の一つのようです。確かに1話の冒険活劇めいた導入を見ると、その後の拷問やサラへの暴行シーンは耐えられないでしょう。
しかしあらかじめ鬱アニメである、と分かった上で観ていればそれ程でもないというのが個人的な感想です。特にラストの夕日は余韻もある悲しいもので、鬱になるというより切なさのあるエンディングだったのではないでしょうか。
まぁこれを知り合いにお勧め出来るか? と言われると言葉に詰まりますが、それでもある程度は納得の行くラストだったと思います。悪い作品では間違いなく無いですね。
という事で、この作品についての分析は一旦終わります。また分かった事があれば書くかもしれません、書かないかもしれません。